どこからみるのか

 

 『AToll』さん作品。高速M@ster。
 
 まぁ、高速M@sterっていうよりは高速PVなんですけどね。
 音ゲーの曲って時々無性に聞きたくなるのですけど、やっぱりいいですよね。
 リズムとか疾走感とか、電子の音とか。
 私は音楽についての知識がほぼゼロみたいなものなのですけど、
 こうして音について思った事を言葉にしたいときはもっとちゃんと知りたいなぁと、いつも思います。
 
 エフェクト動画の格好よさはスクショ抜いて見ればわかれぅというのはcocoonPさんの言ですが、
 確かにすごくわかりやすく面白さや格好よさが伝わる動画だと思います。
 でも私はそのわかりやすさが好きなんですけどね。
 何も考えずに見れるから。
 エンターテイメントってそういう部分をたぶんに含んでいるものだとも思うし。
 煽り、フレーム、カットイン、スローモーション、ネタ、ダンス。
 それぞれに格好よさがあって、それを丁寧に組み合わせて掛け算していて。
 疾走感のある曲に疾走感のある動画。
 こないだ書いた、曲の魅力×動画の魅力=無限大、がここにも。
 
 ただ、高速M@sterのダンスメインの高速シンクロという点からすると少し微妙だったかなとも思います。
 エフェクト的にアップでフリーズでリズムをキメるという手法はちょっとゴマカシくさいかも。
 フラッシュ的に黒い画面とダンス画面をリズムに合わせてこぎざみに明滅させる手法もそうですし。
 同じ振りを、同じフレーズを繰り返す箇所で、やっぱり同じように繰り返すというのも、
 ダンスというよりも動画の中のエフェクトに見えてしまうのがマイナス点。
 格好よさの演出としては定番ですし、文句のつけようもないんですけども。
 エフェクトというか演出的な技術でゴマカスんじゃなくって、
 しっかりダンスとビート、そのシンクロだけに向き合ってエンタメしてくださってもよかったかもと思いました。
 高速M@sterってそういうお祭りだと私は思っているので。
 
 いろいろな視点から見れば、いろいろな意見が出るんだよという例みたいな感じですが。
 まぁ、ちょっと動画が関係ない記事が続いちゃったのを引きずっているのだと思います。
 あとはcocoonPさんやRDGさんの、これちょっと論評の流れじゃないの? みたいなのにも影響されてるかも。
 ただ、実際に論評をやるならもう少し音楽やダンスのことは勉強しないといけないですけどねっ!

まずはひとつ

 だみぃさんのブログに投げ込んだ爆弾についての続報と見せかけてぜんぜん関係ない方向の話。
 敷居さんのエントリを読んでいたら思いついたのでちょこっと書いてみよう。
  
 自分はとある地点で起こったことを、より多くの人が見られるような状態にしているだけですよ、
 というようなことを考えている人が意外に多いのでしょうか。
 
 だとしたら、それは虫メガネ(拡大鏡)や、拡声器なんかとあんまり大差ないわけで。
 拡声器ごしに流れてくる情報って、元情報となんら違いはないわけですよ。
 高機能な拡声器ならノイズを取ってくれたり、
 もしかしたらエフェクトをかけて聞きやすい声にしてくれるかもしれませんが。
 
 別に自分が拡声器に徹しているということにたいして、いいことだわるいことだというつもりはなくて。
 ニュースや新聞のように、そういう役割をしてくれる人がいないと困ることも間違いありませんし。
 
 ただ、基本的に拡声器に対して話しかけて楽しいことはあんまりないわけで。
 話しかけるとしたら、その声を発した本当の情報源のほうに行きますよね、普通。
 もちろん、拡声器やってる人は、そうしてほしいからしているのだろうし、ここで利害は一致しているわけです。
 だから、いいわるいの問題じゃなくって(大事な事なので二度言いました)。
 
 ただ、だみぃさんのお話がどういうお話かというと。
 なんでニコマス紹介ブログってあんまり交流とかしないん? っていうことで。
 その話になると、自分はただの拡声器だと思っている人が多いってことはちょこっと問題になるわけで。
 
 拡声器は交流を必要としないわけですよ。
 拡声器には伝えたい主義主張はありません。基本的には右から来た情報を左に受け流すのがお仕事。
 もちろん、実際には人が拡声器の代わりをやっているだけですから、主義も主張も自我もあるでしょうから、
 拡声器やってる人が交流とかどうなのよっていうつもりはぜんぜんなくって。
 
 ただ、自分のことを、いや自分は単なる拡声器だし……と思っている人が、
 同じように自分のことを拡声器だと思っている人にたいして、積極的にコミュニケーションをとろうとしていくかというと、
 それはすごい微妙な気がするのですよね。
 使う人のいない拡声器が二台向き合っておいてある様子を想像していただければいいと思うのですけど。
 
 それだったら実際に
 自分で考えて自分の言葉を伝えようとしていると明確にわかる人と交流したいと思うのが世の常で。
 Pさんのブログには他のPさんだけじゃなくって、紹介ブロガーの人や、普通の視聴者さんなんかのコメントがついて、
 しっかりと交流が出来上がっている場合が多いのですよね。
 
 拡声器だといいながらもその中に独自のエッセンスを混入していく。
 そのまま伝えるだけじゃなくて、情報をまとめてひとつの塊にしてその塊で主義や主張を伝える。
 拡声器のはずなのに中の人が見えてくる。
 そういう場合は、その中の人にたいして話しかけようかなということも多くあると思います。
 拡声器を通す前の情報にももちろん興味があるけれど、
 拡声器から流れてくる声も、通す前の声と同じくらいに興味がもてる。
 事実、そういうことをしている人の紹介ブログではちゃんとコミュニケーションが発生していますし。
 
 紹介ブロガーの人ってコミュニケーションをしたいと思ってブログを作っている人が少ないのかもしれません。
 自分がブログを持っていなくてもできる程度のコミュニケーションはしますが、
 自分がブログを持つ事で生まれるコミュニケーションに関してはそこまで興味が無い。
 本当に読んで字のごとく『紹介』することだけが目的でブログをやっている。
 んじゃないかなぁと少し思いました。
 

 だけど この空がいつも私のこと見守ってる
 
 もっともっと強く 励ましてる
 
 だから 怖くない
 
 どこでも行きたいところに行ける
 
 輝いた未来 まっすぐにね

 
 さっそく新しいきれいな〆かたを実験してみました。
 間違いなくカオス。

たほうめんにむけていろいろ

 cocoonPさんからトラバが来ていたのでなにごとかと思ったら、
 前と同じで「ねぇねぇ敷居さん、論評やろーよぉ」という話で安心しました。
 なんだか見ていてとっても微笑ましく思いました。
 話は聞かせてもらいました! cocoonPさんは敷居さんのことが大好きなんですね!(わた春香さん風に)
 
 私はニコマス感想系ブログの中の一人ということで紹介を受けたわけですけど。
 う〜ん。論評かぁ……
 見る専だからヘタレでサーセンとかそういうことをいう気はないのですよ。
 そもそも論評をやってみれば? とさえ言われてないんですけどね。
 
 Maay@s感想では、ダンスのシンクロにもちょこっとだけ触れてはみましたし。
 次もそういう機会があればもうちょっと突っ込んでみたいところでもありますし。
 でも私のそもそも好きなエリアのど真ん中にはシンクロ系動画がないのですよね。
 んで、春休みが終わって時間は無限にはない状態になっちゃったわけで、
 じゃあ何を見るのよってなると、自分の好きな物語系の動画や音いじり系の動画になるわけです。
 
 で、それをみたときに自分が何を思ったのか。
 その動画を分析する事よりも、
 私はそのとき何を思ったのか、
 なぜそう思ったのかを書き記すほうが楽しい。
 そして、そういう記事のほうが読んでいて面白いだろうと私は考える。
 だからそうする。
 
 主観ばかりのブログだから突っ込みづらいだろうとは思うのですよね。
 でも別に突っ込まれたくないわけじゃなくって、そう書くのが楽しいから、
 もっと言えば、それしか提供できるものがないからそうしているだけなのですよね。
 だから定期的に『\スッパーン/と飛ばします』し(中佐さん曰く)。
 
 いつもどおり、ここから話は妙な方向に流れていって。
 
 自分は自分自身の意見の表明者であり、
 批評や論評、感想であったとしてもその言葉は一次情報、言い換えれば正しく創作物であり、
 ならば私は創作者として真っ直ぐに立つべきなのだ。
 
 というようなこともけっこうマジメに考えていますし。
 そして創作者であるなら、自分の作品に責任を持たなくてはいけないとも思っています。
 それは、プロでもアマでも関係ない。
 自分が書いた記事、言葉に対してはどんなレスポンスも覚悟する。
 覚悟はするけど反撃もしますし、言い返したければ言い返す。
 それでも、もし間違ったことを書いたのであればきちんと訂正し、必要なら謝罪する。
 
 私は確かにお金はもらっていないけれど、それでも自分の創作物に相手の時間を支払わせている。
 そういう意識をちょっとだけ持っていたいなと思っているので。
 相手が好きで支払っているんだから責任を感じる事はないなんていうのはちょっとアレで。
 好きで支払っているかどうかは相手の問題で、
 自分が考えないといけないのは、実際に支払われた時間そのものだと思うのです。
 だったらプロだって相手は好きでお金を払ったんだから、そのお金に対しては責任はないって言えますし。
 そしてそのプロが批評、批判されるべきなら、自分だってそうじゃないかな、と。
 時間を支払った相手が言いたいことがあるというなら、受け止めないといけないな、と。
 
 まぁ、その意識に対して提供できるコンテンツのあまりの貧相さに、
 穴を掘って埋まっていたくもなるのですが。それでもこれが私の創作物なので。
 それはそれでしょうがないなぁ、でも良くはしていきたいななんてことも考えたりしています。
 できればお支払いいただいた時間に見合ったものが提供できる程度には。
 
 それではみなさま、今後ともよしなに。
(いつもどおりまとまらなかったけど、最後挨拶で丁寧に〆ればバレないはず!)

なんという


 アイマスCD曲MADに定評のある『ねこP』。
 
 確かに声爆弾で耳をテロる釘宮さんらしい大量殺戮兵器だったと思うのですけど、
 でもこの曲だけでここまで笑ってしまうほどかわいいと思ったかというと、それはまた違うんじゃないの、と。
 カットインやキュンキュンのふわふわ、イチ、ニ、サン、ハイでのアピール4連打。
 さりげなく増量中のダンスパート(最初気付かなかった私涙目)。
 曲に負けないくらいにこれでもかと伊織のかわいさを脳髄に叩き込まれました。
 曲の魅力×動画の魅力で無限大の可能性を引き出すのがニコマスMADだなぁと思うわけで。
 
 やぁ、伊織はかわいいなぁ。
 5月5日の誕生祭の記事を今から用意せねば!

そのものがたりのさきに


 『こぐみんP』。
 
 物語は終わらない。
 それはもちろん完結したひとつの物語だけれど、
 それでも私たちはきっとその先を描いていけると思うから。
 
 そのために私たちは言葉を持っているし、
 こうして映像を操れる能力を持っているし、
 絵をかくことだってできる。
 
 その先を切り開く力、それは紛れもない愛だと思うから。
 すべての語り部に鳴り止まない拍手を。
 
 実のところ、SS制作はかなり行き詰っています。
 私とアイドルマスターのあいだにある距離感がどうしてもうまらなくって。
 少しずつ切り崩してゆくしかないのですけれど。

あいのうた


 『ulaP』。5月5日はいおりんの誕生祭! って、えぇっ!?
 
 もし愛がひとつの形しかないのだったら私は小説を書かないし。
 もし真実の愛以外を受け付けないような世界ならきっとすぐに滅んでしまう。
 
 たとえば、それが技術の問題だけであったとしても。
 センスの問題だけであったとしても。
 それでも、この動画の伊織はとびっきりうつくしくかわいいし。
 この動画の世界はとびっきりせつなくかっこういい。
 
 私はそこに愛を見る。
 この伊織の別の顔を見たいと思う。
 この伊織の世界に触れてみたいと思う。
 
 もちろん、この作品に愛がないなんていいません。
 だってそれは私が考える事ではないし。
 私がこの作品に愛を見た、その事実があればじゅうぶんだと思うので。

robot girl sayonara

 初のひらがな以外のエントリ名です。
 ずっと続けようかと思っていたのですけど、ひらがなであることにしばられるのももったいないし。
 

 
 私が毎日毎日聞いている曲に『robot girl sayonara』という曲があります。
 ニコニコの東方アレンジの歌い手さんのオリジナル曲なのですけど。
 今日の朝方少し考え事をしていて。
 そのときに考えていたのが、そのrobot girl sayonaraとメカ千早でMADが作れないかなという事でした。
 私には絵はかけないし、文章だってぜんぜん上手じゃないから、きっとそれはキビシイだろうけれど。
 そして帰ってきてから見たのが、今回紹介する『ekaoP』の動画でした。
 
 メカ千早なんて、アイマス本編から見たらネタから派生したネタの本当に、本編とは何の関係もない、
 ただの二次創作程度の存在なのだけれど。
 それでも、オクラ山ため蔵Pの作品や、今回の作品を見ると、メカ千早って愛されてるなぁと感じます。
 見ていて、メカ千早が本当にいとおしく感じられる。
 
 新しい世界があって、新しい物語があって。
 その世界で悩んで笑って恋をして。
 そこにメカ千早はちゃんといるのですよね。
 
 そういうのっていいなぁと思います。
 そういう世界を私たちに魅せてくださるPのみなさんのことを本当に尊敬します。
 
 最後になりましたが『robot girl sayonara』のご紹介。
 あにーさんのブログ『ゴミ置き場』より、
 『robot girl sayonara』
 本当にいい曲なので一度聞いてみてください。