まずはひとつ

 だみぃさんのブログに投げ込んだ爆弾についての続報と見せかけてぜんぜん関係ない方向の話。
 敷居さんのエントリを読んでいたら思いついたのでちょこっと書いてみよう。
  
 自分はとある地点で起こったことを、より多くの人が見られるような状態にしているだけですよ、
 というようなことを考えている人が意外に多いのでしょうか。
 
 だとしたら、それは虫メガネ(拡大鏡)や、拡声器なんかとあんまり大差ないわけで。
 拡声器ごしに流れてくる情報って、元情報となんら違いはないわけですよ。
 高機能な拡声器ならノイズを取ってくれたり、
 もしかしたらエフェクトをかけて聞きやすい声にしてくれるかもしれませんが。
 
 別に自分が拡声器に徹しているということにたいして、いいことだわるいことだというつもりはなくて。
 ニュースや新聞のように、そういう役割をしてくれる人がいないと困ることも間違いありませんし。
 
 ただ、基本的に拡声器に対して話しかけて楽しいことはあんまりないわけで。
 話しかけるとしたら、その声を発した本当の情報源のほうに行きますよね、普通。
 もちろん、拡声器やってる人は、そうしてほしいからしているのだろうし、ここで利害は一致しているわけです。
 だから、いいわるいの問題じゃなくって(大事な事なので二度言いました)。
 
 ただ、だみぃさんのお話がどういうお話かというと。
 なんでニコマス紹介ブログってあんまり交流とかしないん? っていうことで。
 その話になると、自分はただの拡声器だと思っている人が多いってことはちょこっと問題になるわけで。
 
 拡声器は交流を必要としないわけですよ。
 拡声器には伝えたい主義主張はありません。基本的には右から来た情報を左に受け流すのがお仕事。
 もちろん、実際には人が拡声器の代わりをやっているだけですから、主義も主張も自我もあるでしょうから、
 拡声器やってる人が交流とかどうなのよっていうつもりはぜんぜんなくって。
 
 ただ、自分のことを、いや自分は単なる拡声器だし……と思っている人が、
 同じように自分のことを拡声器だと思っている人にたいして、積極的にコミュニケーションをとろうとしていくかというと、
 それはすごい微妙な気がするのですよね。
 使う人のいない拡声器が二台向き合っておいてある様子を想像していただければいいと思うのですけど。
 
 それだったら実際に
 自分で考えて自分の言葉を伝えようとしていると明確にわかる人と交流したいと思うのが世の常で。
 Pさんのブログには他のPさんだけじゃなくって、紹介ブロガーの人や、普通の視聴者さんなんかのコメントがついて、
 しっかりと交流が出来上がっている場合が多いのですよね。
 
 拡声器だといいながらもその中に独自のエッセンスを混入していく。
 そのまま伝えるだけじゃなくて、情報をまとめてひとつの塊にしてその塊で主義や主張を伝える。
 拡声器のはずなのに中の人が見えてくる。
 そういう場合は、その中の人にたいして話しかけようかなということも多くあると思います。
 拡声器を通す前の情報にももちろん興味があるけれど、
 拡声器から流れてくる声も、通す前の声と同じくらいに興味がもてる。
 事実、そういうことをしている人の紹介ブログではちゃんとコミュニケーションが発生していますし。
 
 紹介ブロガーの人ってコミュニケーションをしたいと思ってブログを作っている人が少ないのかもしれません。
 自分がブログを持っていなくてもできる程度のコミュニケーションはしますが、
 自分がブログを持つ事で生まれるコミュニケーションに関してはそこまで興味が無い。
 本当に読んで字のごとく『紹介』することだけが目的でブログをやっている。
 んじゃないかなぁと少し思いました。
 

 だけど この空がいつも私のこと見守ってる
 
 もっともっと強く 励ましてる
 
 だから 怖くない
 
 どこでも行きたいところに行ける
 
 輝いた未来 まっすぐにね

 
 さっそく新しいきれいな〆かたを実験してみました。
 間違いなくカオス。