はじめにもどる
ニコマスでのPという立場と、アイマスでのプロデューサーという立場。
その隙間が、ニコマスファンには今ひとつ伝わらないのかもしれない。
ここまで首を突っ込んだのなら最後まで書いてしまおう。
もう一度、cocoonPさんのブログのエントリ
こんにちは、「プロデューサー」です。 - にこ繭。(cocoonPのBlog)
ニコマス動画における「高い技術」とは? - にこ繭。(cocoonPのBlog)
そして敷居さんのブログのエントリ
目新しさのアピールは「技術」ではない? - 敷居の部屋
創作物の魅力は労力や技術だけでは決まらない - 敷居の部屋
より。例によって収納。
私はニコマスMADのファンだと思う。ニコマスMADって基本的にそれ単体で完成した世界。
みんな新しい世界を魅せるためにあの手この手を尽くしている。
でもcocoonPさんが作りたいのってアイマスMAD。アイマスの延長線上というかアイマスという世界の一部。
みんくさんがノーマルPVを挙げ続ける理由もきっとそこにあるんだろうなぁってふと思った。
特別なエフェクトやハデな演出を入れる必要なんてない。
アイマスって世界の中で歌って踊るリッチャンを切り出して魅せる。それだけできっと満足なんだ。
それがみんくさんの思うアイマスMADなんだって。そんなことを思った。わからないけどね。
アイマスPたちは心の中で、自分たちはステージ上で歌って踊るアイドルたちをプロデュースする立場だってことに誇りを持ってる。
彼らにとってPって名は構成作家や動画監督、映像監督をあらわすものじゃない。
最初から最後まで、彼女ら『アイドル』のいちファンであり、アイドルである彼女たちがすきなんだと思う。
だから、敷居さんのおっしゃるウケるアピール、私は脚本家的な面白さの演出だと思うのですけど、そういう部分にも
あまり重きを置いてないんじゃないかと思います。
だからあえて「抜き」なんかの高度な技術を手を抜くことで誇示しないといけないという現状が歯痒い。
アイドルプロデューサーとしての立場からすれば、もっといいパフォーマンスが魅せられるはずの彼女たちに
わざわざレベルを落としたパフォーマンスをさせないといけないのだから。
それって本来のプロデューサーのやるべきことじゃない、よね。
彼女たちを輝かせてあげることだけ考えていたいはずなのに。
うわぁ、すごいいっぱい抜いてるよ、すごいなぁって言わせたいわけじゃない。自然なつなぎすげぇって言わせたいわけでもない。
むしろ言ってもらいたくないのかもしれない。
そんなところを見てもらいたいんじゃなくて、ステージで歌う、ステージで踊るアイドルを見てほしい。
プロデューサーとしての『腕』って本来はそのためにあるものじゃないのか。『技術』ってそういうものじゃないのか。
そういう憤りがあったのかなと想像してみたり。
だから、良い作品っていうのにこだわった。
エフェクトがすごかったりいっぱい抜いてたり、そういうのが良い作品ってわけじゃない。
アイドルが見えてないならそんなの全然良い動画じゃない。
だから技術ってことばにこだわった。
アイドルを魅せられていないのならそんなの技術と呼ぶに値しない。
新しい魅せ方で魅せたアイドルじゃなくて、魅せ方自体を魅せてしまっているならそんなの技術じゃない。
そういうことかなと思います。
こうして書いているあいだにいろいろ考えた。
今までの視聴スタイルのことだとか、これからの視聴スタイルのことだとか。
どこにも答えなんてないし、やっぱり私にとってアイマスっていうのはニコマスのことだから
何もかえられはしないのだけれど、それでも少しだけ見え方が変わってしまうかもしれない。
それが良いことなのか悪いことなのかなんてきっと誰にもわからない。
また長々と。本人の許可もなく勝手に推し量った妄言を並べてしまった。
間違ってるところがあったらそこはそんなこと言ってないよとはっきりと指摘してくださると嬉しいです。
ご存知のとおり、思い込みの激しい性格なので。