こころのおきばしょ

 
 投稿サイトに小説を載せてもらっていたときから、や、もう少し前。
 投稿サイトの小説に感想を書いていたときからずっと考え続けていることがあります。
 
 cocoonPさんからこんなコメントをいただきました。

>「ある程度以上のレベルでない程度の低いものは公表するな」
「自分の場所」で言うのならば、それは自由じゃないですかね?
作り手側にはそれに従う義務もないですから。
TVで野球を見てて、監督の采配に文句を言う親父と同じでしょう。
 
ニコ動のコメント上で行う場合だと、それも動画に付随してしまうから難しい問題ですけどね。

 そして、一昨日こんなエントリを見つけました。
何がしかの言葉を吐くなら - Nobody tells the story
 このエントリがずっとココロに引っかかってました。

 
 ん〜。
 自分のおき場所というか、こころをどこにおいておくかということなのだけれど。
 きっと上手にいえないと思う。わかってもらえるようにいえないと思う。
 ずっとずっと考えていて、いまだにどうすればいいのかわからない問題だから。
 
 たとえば野球の監督は采配が失敗したら自分の責任問題になる。負けちゃったら負けた監督になっちゃう。
 評価だって下がる。もしかしたらもらえるお金だって下がるかもしれない。
 彼は自分の采配と言うものに対してきっちりと責任を負う立場にいるわけです。
 
 その彼の采配に文句を言う。ダメじゃないかと非難する。バカにする。
 そのとき、自分はどの場所にいるのかっていうことなんです。
 何の責任もない、何のリスクもない、何の痛みも伴わない場所から、
 責任やリスクを負った人間の決断に対して文句をいう、嘲う。
 そのことに対してどう思うのかということなんです。
 
 そのことにたいして、良い悪いではなくって。どう思うかっていうことなんです。
 別にいいじゃん、ふんふんふ〜んっていうならそれはそれでいいと私は思います。
 
 もちろん、監督さんは責任やリスクを負うことを自身で了承し、そのことでお金をもらっているわけですから
 自分が失敗したときにはその責めを負う義務があるんです。それはわかってはいます。
 でも、責められる義務が相手にあるからといって、責める権利をこちらが与えられているとどうして思えるのか。
 責める権利を持つ場所にどうして自分をおけるのか。そこに自分をおくことの正当性は?
 
 「ある程度以上のレベルでない程度の低いものは公表するな」という考え。
 コレ自体は賛否両論あるとはいえ、ひとつの考え方として別に間違ってるとか正しいとかそういう類のものではないと思います。
 でも、これを口にしたとき。それは自分の場所であれ、他人の場所であれ、公共の場所であれ。
 そのときには自分をどういう場所におくのかということをしっかりと考えないといけないと私は思うわけです。
 私がこの言葉を口にするとしたらそれはおそらく、
 「私はある程度以上のレベルでないものは公表しないようにする、だからみんなもある程度以上のレベルでない程度の低いものは公表するな」
 という立ち位置に立つしかないんじゃないかなとそういう風に考えます。
 だって、
 自分は別にレベルなんて気にせずに出したいものを出すけど、みんなはちゃんと公表できるレベルのもの出せよ、
 なんて私には言えないから。
 
 自分のレベル制限の対象は動画だけで、他の行為に対してはそんな制限は設けない、って言い方もできますけど、
 それってつまり自分の都合のいいものにだけは制限をかけないっていう立ち位置に立つってことだとも思うわけです。
 それを私はあんまりよしとしたくないと思うんです。
 
 ある言の葉を思っているだけではなく、ほんとうにつむいでしまったとき、人はまずその言の葉を自分に貼り付けないといけない。
 他人には貼り付けるけど、自分には適用しない。そんなのは私はちょっと違うなぁと思うんです。
 
 さて、cocoonPさんのコメントに対する私の返答としては、『自分の場所とか関係なく、口に出すこと自体は自由』というものだったりします。自分が書いた件のエントリを読み直しても、不思議なことに直接的に『言うな』とは書いてなかったみたいです。よかった……
 その代わり、口にするからにはその言葉に対して責任を持たないといけないと私は思う。持ってほしいなぁと思う。
 
 そしてそれってすごく難しい。
 私はわりとよく考えもせずに責任取れもしないこと、偉そうなこと、余計なことをぽんぽんと言ってしまう。
 このエントリをつむいだ瞬間から、私は自分の発言に対して責任を負うべきだという言の葉を自分自身に貼り付けてしまったわけでよね。
 私も責任取るからみんなも責任とろうよ、という立ち位置を自分で選んでしまった。
 でも私はきっとすぐに失敗してしまう。責任取れもしないことを言ってしまう。
 でも、失敗してしまうとしても、なんていうか、そういう自分をよしとしないで、失敗しないように気をつけてちゃんとしないといけないなと思うんです。
 常にちゃんと自分を見てないといけないなぁと思う。自分をどこにおいておくのか、自分のこころのおき場所をちゃんと考えないといけないなぁと。
 そういうふうに思うわけです。
 
 投稿サイトの作品に感想をつけるときに、他人の作品に感想をつけるなら、自分の感想に感想をつけられることを覚悟しないといけないと教えてくださった方がいました。それ以来、ずっと考えています。
 他人様の感想を書くという立場に自分をおくなら、自分も他人様に感想を書かれる立場に立たないといけない。
 言葉と自分のこと。自分と他人のこと。自分と自分のこと。言葉と言葉のこと。
 
 どこまでいっても答えなんてないのに、ずっとずっと考えています。
 
 
それでも地球は回っている - Nobody tells the story
 そして書き終わってからこっちのエントリを見つける。ちょっと失敗。
 書く前に見ておくべきだったなぁと思うのでした。