そとのせかいのはなし
ん〜。
作品の『良さ』とは、
作品自体の質や技術の高さだけで、
他人がつける評価だけで、
決まるものではない。
にーちょ
みたいな(笑)。
どっちも大事。
かの人は『作品の『良し悪し』は他の人の評価で決まる』
かの人は『他の人の評価は別として作品自体の『良し悪し』は別にある』
他の人の評価を得るために作品自体の質を下げる。
前者から見ればそれは英断。作品の『良さ』を上げるために必要な工夫。
後者から見ればそれは冒涜。結局、作品の『良さ』を下げることにしかならない。
少し見ている場所が違うのかなぁ。
でもお互いそれを理解したうえで話し合っているようにも見える。
少し違う言葉を話している。
ボクの世界ではその言葉は愛を意味しない。ボクの世界の愛はこれだけだ。
いやいや、ボクの世界じゃその言葉も愛を意味する。ボクの世界の愛はそれだけじゃない。
言葉を交わし、なおかつ理解しあうということはとても難しい。
話しているあいだに、もともとしたかった話以外のところに話が流れてしまったりもする。
ニコマス界は広く深い。
しかし一番好きなニコマスの動画が『アイマス紙芝居』な私には遠い国の話なのであった。
きっと私はアイマスというゲームが好きなのではなくて、
アイドルマスターという世界、そしてそれにかかわる人たちが好きなのだと思うから。
目新しさのアピールは「技術」ではない? - 敷居の部屋
ニコマス動画における「高い技術」とは? - にこ繭。(cocoonPのBlog)
そこにきみがいるから
私がよく見る動画は『アイマス紙芝居』ということを、一つ前のエントリでお話したのですけど。
私はキャラクター自体が好きだとか、
ゲームのシステムが好きだというように感じることが少ないのですよね。
そこにバックボーンとしての『世界観』が備わって初めていいなぁと思える。
キャラなんてしょせん記号でしかありません。
洗濯板で、青い髪でストイックで歌がうまい。
その程度のキャラ付けがされたキャラクターなんてどこにだって転がっています。
でもアイマスという世界観の中で、そのキャラクターが歩んできた道があって、
そしたらあら不思議。
なんだかすごくいとおしく思えてくる。
そして、そのキャラクターがひとつの世界観を飛び出して、みんなが新しい世界を与えてくれる。
その世界の中で、また新しい魅力が引き出され、生き生きと動き始める。
ただの記号じゃない。
そこにほんとうに生きて存在しているみたいに。
私はそれを見るのが好きなんです。
そこに新たな物語が生まれる瞬間を見るのが。
whoPの新作を見てなんとなくそんなことを考えました。
すごいとかすごいとか
できあがったものだけを見るのか。
できあがるまでの過程を見るのか。
作った人間を見るのか。
作った環境を見るのか。
今回の公式団結でそういうちょっとしたところに話が広がると楽しいかもしれない。
つくるひとみるひと
最初のエントリで紹介した
目新しさのアピールは「技術」ではない? - 敷居の部屋
の記事にコメントがあがっていて、それについて書いていたら長くなってしまった。
私はアツくなるとすぐに長文になってしまう癖があってダメだなと思う。
ある種特定の個人に当てたものなのだけれど、さすがにこれをコメ欄に書いたら迷惑だろうなぁ……
ということで収納。